弔電は必要か?

2021年7月14日

 皆さんは親戚や知人の訃報に接したとき、弔電を送りますか?

先日ヤフーニュースに「弔電は必要か?」との問いかけの記事が出ていました。調査した会社のアンケートでは、あまり必要ないとの意見もある一方、やはり遺族親族にとってはうれしいものであり意味があるものという意見など、双方の立場の意見があったそうです。

 皆さんはどう思われますか?私はこの問題を考えているときに、「いまや電報って、結婚式か葬式でしか使われないのではないかな・・・?」と、弔電に限らず「電報」ニーズに対する疑問が湧いてきたのです。昔の「電報」のイメージで最初に思いうかぶのは・・・縁起でもないですが「チチキトク スグカエレ」とか受験時の「サクラチル」などの合否連絡サービスだったのではないでしょうか?

 考えてみればこの感覚ってネット社会になる前の感覚なのでしょう。いまやこの二つの代表的な電報ニーズは、携帯電話とネットにとって代わられていますね。つまり緊急連絡ニーズのほとんどは電報よりも早く確実な手段に置き換わっているわけです。そんな社会情勢の変遷にも関わらず、なにゆえ結婚式と葬式では電報が使われるのでしょうか。

 私が考えるには、冠婚葬祭の場合の電報は「単なる伝達手段」としてののニーズよりも「電報という物理的存在」であることに由来するニーズが大きいのではないかと考えています。電話やメールのような直接的伝達手法ではなく、電報台紙という目に見える物の存在によって、送る人の気持ちを間接的に伝えるのと同時に物理的に残ることによって受け取る方の心に与える影響の継続的な効果があるのではないかと思うのです。つまりは冠婚葬祭時の花やプレゼントと同様の位置づけで捉えられているのではないでしょうか。

 実は葬儀業界では、通信会社の電報ではなく文章をメール等で葬儀会社で受け取りそれを台紙にしてご遺族にお渡しするサービスが普及しています。これは通信会社の提供する不特定多数に送信するサービスである必要はなく冠婚葬祭に関するニーズに対応した民間サービスです。つまり構造的には「お花」や「プレゼント」と同じですね。

 そういう意味では「弔電は必要か?」という問いが成り立っていないのではないでしょうか。「冠婚葬祭時の贈り物は必要か?」という問いが正確なのだとすれば、それは「必要」なのでしょう。

 

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