自然散骨の島

2018年10月1日

日経新聞に興味深い記事が出ていました。それが「自然散骨 カズラ島」の記事。
カズラ島は、島根県隠岐郡の中ノ島の諏訪湾入り口にある無人島です。大山隠岐国定公園の中に位置しています。

その島では自然散骨が行われているとのこと。
自然散骨とは、海洋散骨のように海に散骨するのではなく、島の土地に散骨するのです。
この自然散骨は東京の戸田葬祭場さんがサービスとしてやっていらっしゃるそうです。
元々この会社の方が隠岐のご出身で、縁があってカズラ島ではじめられたとのこと。
最初は、漁業などに与える風評被害等の懸念から地元でも反対運動があったそうですが、
海への散骨ではなく陸地に散骨するということで反対も収まり、いまでは自治体も応援してくださっているそう。
島の高台で海が見える場所に、故人の粉骨(遺骨を細かくつぶした状態)を撒くと、雨にさらされ地面に浸透同化していき、
その上に緑が生えてくるそうです。そう聞くとお墓に納めるよりも、「自然に還る」って感覚がすんなりするような気がしますね。

散骨に来られる方のお話も載っていましたが、故人が散骨を希望されていたけれども、遺族としてはやはり参る場所が欲しく、海洋散骨ではなく自然散骨を選ばれたとのこと。
私自身は海洋散骨希望ですが、このご遺族のお気持はわかるような気がします。
やはり節目にお参りに行く明確な場所があれば、そこに故人が眠っている実感があるような気がしますから。
お墓はつくらないけれども、自分(遺族)が生きている間はその場所を訪れることで故人を偲ぶことができる。
「会いに行く」という行為を通して、故人への想いを深く認識できるのだろうと思います。
私の場合は、もし子供達が私が死んだあとに私のことを偲んでくれるとすれば(すっかり忘れて偲んでくれないかも。。。(笑))
その時住んでいる場所の近くの海に行って思い出してくれればいいと思っています。海は世界中繋がっていますから。
・・・しかし「海なし県」や、外国の内陸国だったりしたらやはり大変かも・・・なんて。

この記事を読んで感じたことは、「いいサービスだなぁ」ってこと。
お墓を子供や孫の代まで面倒見させるのは気が引ける・・・でも海洋散骨では、まったく故人がいなくなってしまう(実体はないのだけれども)ような感覚でなんとなく気が引ける、というような感覚の方々の心を捉えるのだろうなぁと思いました。
「愛した人は、たとえ死んでも残された人の心の中で生き続ける」という言葉の感覚をよく表しているのではないでしょうか。
残された人は、故人は死んでしまった、いなくなってしまったという事を事実として頭では理解しているけれども、心ではどこか永遠に擬人化し続けるものなのでしょう。
だから何か(仏壇?お墓?星?海?)に向かって話しかけたくなるんだと思います。

私達は葬儀を通してそんな残された方々のお気持を常に共感ながら、葬(おく)るお手伝いをしなければならないのだとあらためて感じさせられました。