「親の葬式をしなかった」59歳男に一生残る後悔

2019年7月8日

 先般、東洋経済ONLINEさんに興味深い記事が掲載されていました。記事の題は、

「親の葬式をしなかった」59歳男に一生残る後悔
「葬式不要論」が合理的と断言できない理由

 内容を拝見しますと、取材対象の方はお父様を亡くされた際に、生前お父様が「自分が死んだら、火葬だけでいい。墓もいらない」と言われていたことから、父親の希望に沿うようにとの考えから、直送を選択されたとのこと。しかしながらその後、その選択を後悔するようなことがたびたび発生したそうです。
1.火葬が終わってから自宅への弔問客の対応に追われた。
2.49日法要をやることになったが、位牌もない、今後の法要をどうしたものか。
3.法要を行うにもお坊さんをどうするか。
4.お墓はいらないと言われていたが、やはりあったほうがいいような。
などなどの問題が湧き上がってきたそうです。

 記事の中にもありましたが、原因は「逝く側と送る側の気持ちのギャップ」だったと書かれています。まさに私も読んでいてそうだと感じました。お父様は子供達に経済的負担をかけたくない、墓守り等の物理的負担をかけたくない、との思いで直葬と墓なしを希望されたのだろうとのこと、取材対象の方も合理的にすることは言い事だと考え直送を選択したとのこと。

 しかしなぜそのギャップが生まれたのかまでは突っ込んで書かれてはいませんでした。きっとそこに触れると結論の出ない深い話しになりすぎ、唯物論か観念論かなんてところまで話が波及してしまうからなのかもと勝手に想像してしまいましたが。しかし敢えてそれを少しシンプルに考えると、逝く側にも送る側にも自分の判断に対する明確な論理的裏付けがなかったから、送る側はあとから後悔の念に駆られてしまったのだと思います。記事の中にも法要について、なんとなく区切りの場が必要であるとの認識で家族は一致したと書かれていますが、これは仏式法要やキリスト教の追悼ミサのようなイメージが頭にあり、なんらかの場の必要性を感じられたのではないでしょうか。いずれも宗教によって意味の違いはあるでしょうが肉体が滅びたあとの魂への処理です。しかし信仰を持たない人であれば、魂への処理は必要ないのではという気がしますし、あるのは魂への恐怖心かもしれませんね。なんらかの魂への処理をしておかないとよからぬ事が起こるかも・・・なんて。つまりはこういう論理的な根拠(突き詰めれば、宗教とは?葬儀とは?お経とは?仏教とは?神道とは?まで深く深くなっていくでしょうが)をもって判断しない場合、なんとなく世間横並びでやった方が自分達の気持ちが落ち着くから、父親はいらないって言ったけれども、残された方の気持ちが変化してギャップが生じてきたということなのではないでしょうか。

 とはいえ、宗教研究者でもない人が誰でも突き詰めることができるわけではないですが、(世間横並びの安心感と評判は置いといて)信仰心がないのであれば宗教行事は一切行わないというシンプルなポリシーでいいのではないでしょうか。そうすればお墓も必要ありませんし(共同霊園への納骨等の処理は必要ですが)。

 こういう仕事をしているくせに(というか、こういう仕事をしているからかも知れませんが、)、現在慣習的に行われている葬儀式や一連の行事関係についてその意味を勉強するとともに、場合によっては見直してもいいのではという感じがしています。
それはあくまでも、故人様やご遺族様のために、両者の心が落ち着かれるために、そして経済的にも物理的にもご遺族様の負担が増えないようにとの考えからなのですが、まだ自分の中でも答えは出ていません。
やはり歴史を重ねてきていることでもありますから深いですねぇ。