会葬礼状のお別れの言葉

2019年11月26日

 先日、私の家族の知り合いのご主人が病に倒れお亡くなりになりました。
今年に入ってからの病気発覚と闘病が続いておられたとのこと。まだ60代前半の若さで。

 私の妻が通夜式に参列し、戻ってきてから会葬礼状を見せてくれました。
そこには、短い文章ではありますが故人様ご本人による「お別れの言葉」が綴られていました。一般的には喪主様による「死亡報告」とご参列に対する「感謝の言葉」が書かれることが多いですが、そこには「お別れの言葉」が書かれていたのです。

 聞けば闘病末期には死を覚悟され、ご葬儀についても奥様と打合せをされていたとのこと。
その中でご参列者への言葉も自らの言葉で述べたいとの思いがおありになったのだと思います。生前の感謝、幸せを述べられたお言葉の中にも、直接的な表現はありませんでしたが若くして家族を残して逝くことに対する悔しさのようなものを私は感じました。ご家族を知るからこその私の慮りなのかもしれませんが。

 葬儀業に携わってはいても、お元気なころからの知己を得ていた方の「死」はやはり、あらためて自分の「死」を深く考えさせられます。今の自分の生き方は正直な生き方なのだろうか・・・。ある日突然「死」を突き付けられたときにも動揺することなく、最後の瞬間まで「生」を全うできるだろうか・・・。「ああしておけばよかった、これもやってけばよかった。」なんて後悔ばかりが押し寄せて来て苛まれるでのはないだろうか・・・。
 
 いくら考えてみても合理的な答えを得られるはずもなく、やはり行きつくとこところは、何をやるか、何をやったかよりも、全力でやったかどうかでしか心の安寧は得られないのではないかといつも思います。この「生」への、いや「死」への迷いは一生続くのでしょう。そして「死」の直前には、「結局答えはなかったなぁ~」と思いながら眠りにつくのかもしれません。

 セレモニー椿でご葬儀をされる故人様、そしてご遺族様もそんな迷いの瞬間を過ごされているのかもしれません。私共はお亡くなりになられてからお会いすることがほとんどなわけですが、少しでも自分のことのようにご遺族様のお気持ちをお察しできるように努めて、ゆっくりと心ゆくまでのお別れの時を過ごしていただけますよう慮れるようにしたいと考えています。